作品を作っているときはつまずいてばかりで途中で投げ出したいときもあります。そんなつまずきがあるからこそ出来上がったときは至福の喜びです。でも、このボビンレースは不思議と辛いと感じる時があまりなかったように思えます。教室ではとにかくみんながマイペースで笑いが絶えない。誰にも競争心などないのです。おばあちゃん達の家事の秘訣やガーデニング秘密技(?)、今飲んでいる病気の薬のことやお勧めの医者(苦笑)などを聞きながらボビンを動かしている時間には本当に毎日の慌ただしさを忘れ、普通に生活することが、いや、生活出来ることがいかに大切で恵まれているということをひしひしと感じました。先生のマルセルは、せかすこともなく、課題を押し付けることもなく分からないところがあったら一つ一つ丁寧に教えてくれました。何十本ものボビンを使って織るレースのパターンを見てみんなが驚いていると「ああ、そんなの簡単よぉー」と冗談まじりに言っていました。そんなほのぼのとした本のページをめくるように過ぎていく時間の中にいたから、1時間織った後に間違いに気づきそれを全部ほどかないといけない時が何度とあってもそれを「辛い」と感じることもなかったのでしょう。それともボビンレースという手しごとが他の手芸とちょっと異なり、手芸というよりは工芸という感じなので最初から私自身のボビンレースに対する姿勢が違っていたのかもしれません。練習というよりは修行と言った方がぴったりとくるこの手しごと。人生の後半に差し掛かった生徒さんの中に混ざって手を動かしていると、ボビン以外のことでもまだまだ自分は修行が足りないのだと痛感させられました。
私のまだまだ修行の足りない人生の中でほんの少しだけ一緒に過ごせた彼女でしたが、私に与えてくれた影響は多大なものでした。だから「さようなら」なんて言いたくありません。やっぱり「ありがとう」で見送ってあげたいと思います。そして、きっとボビンを握るたびに彼女の笑顔を思い出しまた会えることでしょう。
