2009年5月1日金曜日

レースを織る、人生を織る

ブルターニュでレースの本に出会ってからというものの、レースが織りたくてしょうがない。だけど、日々の雑務に追われて結局手をつけずにボビンも長い間触っていない。来週こそは絶対教室に行って1センチでも1ミリでも織るのだ、とカレンダーに予定を書き込んだところ。そして、それを感知したかのように今日久しぶりにレース教室の友人から電話が。「悪い知らせがあるの」と。それは、レース教室の先生が亡くなったという悲報を知らせる電話でした。かなりお年を召した方ではあったのですが、あまりにも突然でした。こうやってまた伝統工芸を伝えていく人が他界し、私たちの世代がそれを伝えていかなければいけないという責任をずっしりと重く感じます。伝統というものは引き継いでいく者がいなければそれまでどんなに多くの人が努力したとしてもあっけなく絶えてしまうもろいもの。実際もう存在しない伝統工芸は数えるときりがないことでしょう。世襲制が多いこの世界で、21世紀は国際化が進みいろいろな国の者がいろいろな国の伝統を引き継ぐことも可能になってきました。そして、それは「作りたい」という気持ちには国境がないことを表しています。私とレースの出会いは、随分昔にこの国で年一回行われる「文化遺産の日」(La journée patrimoine)にボビンレースのデモンストレーションを目にしたことでした。この日以来、カラカラと木製のボビンを絡ませてレースを織るこの摩訶不思議な技術が気になってしょうがありませんでした。しかし、習いたくても今ではこの技術を伝えられる人はごくわずか。教室があったとしても費用が高い。そんな理由でずっと習いたかったボビンレースが、引っ越したアパートのすぐ近くで開かれていました。考えられないような低料金で、その教室のことを聞くなりすぐ登録したのが約4年前。初めて教室に入ると、老人ホームかと思わせるような雰囲気。平均年齢65歳ぐらいでしょうか。それも女性ばかり。そんなアットホームな雰囲気で先生のマルセルは私に一つ一つ丁寧に織り方をステップごとに教えてくれました。マルセルという名前が女性にも使われるというのもここで初めて知り、ボビンレースと一口に言っても国、地方などによって名前も変わりいろいろな織り方があるというのも学びました。先生はかなりお年の方だと思っていましたが、生徒の一人(この人も立派なおばあちゃん)が「ところで、先生いくつなの?」と聞いても「いくつだと思う?ナイショー」と答えるお茶目なおばあちゃん先生でした。教室ではまるで少女のような先生も、去年あたりに彼女を通りで見かけたときは、いつもの彼女とは違ってよぼよぼしたおばあちゃんだったのを覚えています。しかし、その後教室に行くといつもの生き生きしたマルセルに戻っていて、この前通りで見かけた彼女は本当に同一人物だったのだろうか、とびっくりした時もありました。そんなギャップを目撃して、レースがまるで彼女の命を繋いでいるような印象を受けました。いつ旅立つ時が訪れるか分からない彼女は、きっと残された人生をレースを織りながらその日が来るまで人生を織っていたのだろうと思います。まさにレースと一体化した最期をおくっていたのでしょう。
彼女の悲報を聞いた後、レースを織りたいという気持ちに正直になれず雑務に追われて彼女に会えなかった自分をうらめしく思いました。3日前は教室で教えていたというので本当に残念です。もっともっと自分の気持ちに正直になればよかった、と。そう、こんな私だって一瞬先は暗闇。明日私も帰らぬ人となるかもしれないのです。だから自分のやりたいことを先延ばししていたらきっと一生できなかったということもありうるのです。
まだまだ時間がある、明日やればいい、忙しいから、他にやることがあるから...言い訳だけはいくらでも出てきます。自分の気持ちに正直になって優先順位を狂わすことに罪悪感を感じるからあえてその気持ちを抑えてしまう、そんな日々を送っていた自分がいたのに気づきました。マルセルが突然旅立って人生とはやりたいことをやっていいのだ、自分の気持ちに正直になっていいのだということに気づきました。そして、彼女から伝えてもらったレースが好きなことも。最後まで手を動かすことを止めなかったマルセルから学ぶことはとても多かったです。「死ぬまで現役」、こんな言葉が彼女にはぴったりでした。そして私も彼女のようになりたいと思います。80歳近いお年で毎日地下鉄に乗って30分以上かけて教室まで教えに来てくれていた彼女は何とボランティアで教えていたのです。彼女にとっての報酬は生徒にレース織りを伝えていき、それを生徒が習得するのを見ることだったのでしょう。
雑誌に載っていなくても、テレビに出ていなくても、役職がなくても、金持ちでなくても本当に偉大な人は私たちのすぐそばにいるのだなと思いました。私にヨーロッパの素晴らしい伝統であるボビンレースを伝えてくれた彼女に心から「ありがとう」を伝えたいです。Merci Marcelle!